13.自分たちで始めたのだから、自分たちで売る

2026/09/20

有機農業の流通・販売・制度論

有機農業の初期の流通について、本では、有機農業がまだ小さく、量も少なく、流通も弱かった時代に、産消提携や自然食品店、有機専門流通が必要だったと書きました。それは今でも、その通りだと思っています。普通の市場やスーパーに有機野菜を持っていけば、普通の商品として売れるような時代ではありませんでしたから、自分たちで流通の仕組みを作り、売場を作り、買ってくれる人を増やしていく必要がありました。

ただ、実際にその世界の中にいた立場から振り返ると、それだけではなかったようにも思います。一般の流通に乗せられないから仕方なく自分たちで売っていた、というよりも、「自分たちで始めたことなのだから、自分たちで最後まで責任を持つ」という気持ちの方が、内心では強かったのかもしれません。

農家が有機農業を始め、街側ではそれを売ろうとする人たちが現れる。「あなたたちは畑を耕してくれ、俺たちは街を耕す」という言葉が象徴しているように、誰かに何とかしてもらうのではなく、自分たちで作った仕組みを、自分たちで育てていこうとしていました。それは、よく言えば強い自立心だったのだと思います。

私自身、八百屋を始めた頃、一般の青果流通についてほとんど知りませんでした。「自分たちは普通の青果流通とは違う世界にいる」と意識していたわけでもありません。ただ、有機農家が作った農産物を仕入れ、それを売って生業にする。そのことだけで夢中でした。
店を始めて半年か一年くらいたった頃、先輩の八百屋から、「お前、近くのスーパーの野菜売場を見に行ったことあるか。ちゃんと見た方がいいぞ」と言われたことがあります。その時に初めて、「ああ、そうか。周りの店も見なければいけないのか」と、少し我に返った記憶があります。

店を出す場所を決めた時にも、その感覚は出ていたと思います。借りて店をやる以上、家賃は安い方がいい。そこで、いわゆるシャッター通りに近い商店街の中に、家賃は安いけれど、路面店で店らしい雰囲気を作れそうな物件を選びました。今なら、商売として考えれば、かなり危ない選び方だったと思います。家賃が高い場所には、それだけ人が通り、買い物をする人がいます。立地には、それなりの理由があります。そのことを実感したのは、店を始めて二年、三年とたってからでした。当時はどこかに、「いいことをやっているのだから、いい商品を売っていれば、お客さんは分かってくれる」という気持ちがありました。立地が多少悪くても、わざわざ目指して来てくれる人がいるはずだ、という感覚もあったと思います。実際、それで来てくれるお客さんもいました。農家のことを知り、その農家を応援する気持ちで買ってくれる人もいました。農家と流通と八百屋が作付を話し合い、農産会議を開き、たくさん採れれば引き受ける。そういう濃い関係が、有機農業を支えたことは間違いありません。

本に書いたように、特別なものとして守ってきたからこそ、有機農業はここまで続いてきました。ただ、その仕組みの内側には、「自分たちで蒔いた種なのだから、自分たちで何とかする」という気持ちが、かなり強くあったのだと思います。

それは、有機農業を守る力になりました。誰かが売ってくれるのを待つのではなく、自分たちで店を作り、流通を作り、お客さんを増やしていく。その姿勢がなければ、そもそも有機農業はここまで残らなかったかもしれません。

一方で、その自立心の強さは、別の面も持っていました。自分たちで作り、自分たちで売ることには慣れていても、外の人に売ってもらうこと、一般の流通に乗せること、普通のスーパーの中に入っていくことについては、発想そのものが弱かったのではないかと思います。当時から有機農業を広げたいとは考えていました。ただ、その「広げる」は、自分たちの考えに共感してくれる人を一人ずつ増やしていくことに近かったのかもしれません。

思想を広げることと、経済として、産業として、商売として広げることは、同じではありません。自分たちで始め、自分たちで育て、自分たちで売る。その強さが有機農業を守りました。同時に、その成功体験が長く続いたことで、「外につなぐ」という発想が育ちにくかった面もあったのではないか。本で書いた「守るための仕組みと、広げるための仕組みは同じではない」ということを、今、自分自身の経験に引きつけて考えると、そういうことだったのかもしれません。

本書参照:
第2部「なぜ、有機は広がらないのか」
3「有機を特別なものとして扱ってきたことの功罪」