10.「6:1:3」を守っていたら、八百屋は続かない

2026/09/19

有機農業の流通・販売・制度論

前回、注文していないトマトが10箱届いた「振り分け」の話を書きました。
当時の有機農産物の流通には、「6:1:3」という考え方がありました。農家が6、共同仕入れセンターが1、八百屋が3。200円で売る野菜なら、農家120円、センター20円、八百屋60円という考え方です。
ただ、実際に八百屋をやってみると、そんなにきれいな話ではありませんでした。

店を始めて間もない頃、先輩の八百屋に言われたことがあります。
「お前、6:1:3守ってんの?」
農家の取り分を守れ、という意味ではありません。
「そんなのまともに守っていたら、八百屋なんか続かないぞ」という意味でした。
野菜は、加工食品のようにはいきません。今日つけた値段で最後まで全部売れるとは限りません。2日目になれば値段を下げる。さらに鮮度が落ちれば、お勤め品にする。売れなければ廃棄です。
つまり、小売の「3」は保証されていません。
そこで当時の八百屋は、じゃがいも、玉ねぎ、人参のように日持ちする野菜では、値入れをかなり厚くしていました。仕入れ値の倍近い値段をつけることもありました。当時は、それでも売れました。一方、足の速い野菜は、売れ具合を見ながら店頭でどんどん値段を変えていきます。
1品ずつ6:1:3にするのではなく、1か月なり1年なりやって、結果としてそのくらいに収まればいい。実際には、そんな考え方だったのだと思います。

今になって考えると、ここにも当時の有機流通の特徴があります。
野菜の値段を、「この価格ならお客さんが買うだろう」というところから決めるより、農家の価格がまずあり、センターの経費が乗り、そこに八百屋の取り分を乗せて売価を決める。下から積み上げて値段が決まる考え方でした。
農家を支えることが先にあったわけです。

ただ、八百屋の側には、だんだん不満も出てきます。
こちらは値下げやロスで「3」が1になることも、場合によってはマイナスになることもあります。一方で、センターがどのくらい取っているのかは、八百屋に届く納品書だけでは分かりません。70円で仕入れた野菜なら、農家60円、センター10円なのか、農家50円、センター20円なのか。それが見えない。
そういうところから、少しずつ不信感も生まれていったのだと思います。
ただし、これは「センターが悪くなった」という話ではありません。
時代そのものが変わっていました。
バブルが崩壊し、スーパーや量販店が強くなり、町の八百屋や小売店の経営は厳しくなっていきました。後継者もいません。有機の八百屋だからといって、そこだけ世の中とは別の法則で生き残れるわけではありません。
「俺たちはいいことをやっている」
「説明すれば、お客さんは分かって買ってくれる」
それだけで商売を続けられる時代ではなくなっていました。

共同仕入れセンターの側も同じです。
最初は売上のほとんどが八百屋向けだったものが、八百屋が減るにつれて、スーパー、外食、加工原料などへの「外販」が増えていきました。さらにセンター自身が個人宅配を充実させ、自分たちで売上をつくらなければ経営できなくなっていきます。
感覚的には、八百屋向けが8割、9割だった時代から、半分程度になり、最後には2割、3割というところまで下がっていったと思います。
そうなると、当然、関係も変わります。
八百屋はセンターに文句を言う。
「センターは自分の取り分をちゃんと取っているじゃないか」
「振り分けばかり押しつけるな」
するとセンターからは、
「そんなに文句を言うなら、もっと八百屋で売ってくれよ」
という話になります。
実際、そんな喧嘩は何度もありました。

今振り返れば、どちらかが悪かったのではないと思います。
最初は農家もセンターも八百屋も一緒になって、有機農業を何とか成立させようとしていました。しかし規模が大きくなり、役割が分かれ、それぞれが独立した経営体になれば、利害が違ってくるのは当たり前です。
有機農業だからといって、特別ではありません。
仕入れる側と売る側には駆け引きがあります。利害がぶつかることもあります。その上で協力する。それが普通の商売です。
共同仕入れセンターが有機専門流通へ変わっていったのも、八百屋を裏切ったからではありません。八百屋もセンターも、それぞれ食べていくために変わらなければならなかった。
今思えば、あの頃にはもう、「有機だけの小さな経済圏」で回していく時代が終わり始めていたのだと思います。

本書参照:
第1部「有機農業は、どのような世界として始まったのか」
5「振り分けと6:1:3に見る『支える流通』」22〜24ページ
6「その時代には、それが必要だった」24ページ〜