小さな池が、ビオトープになっていくまで

2026/07/15

ビオトープ 畑とまわりの記録

 1. 始まり

家というか、小屋というか、作業の拠点にしている場所の北側に、小さな池を作った。大きさはだいたい1.8メートル×2.5メートルほど。深さは20センチくらいで、穴を掘り、防水シートを敷き、底には砂利を入れた。池といっても、立派な庭園の池ではない。むしろ、手作り感そのものの、かなり素朴な水たまりである。

もともとは、そこにメダカを放してみようと思ったのが始まりだった。黒いもの、白いもの、赤っぽいもの、いろいろ混じった、いかにも雑種という感じのメダカである。高級メダカを鑑賞する、というよりは、昔ながらの丈夫なメダカが、この小さな池で暮らしてくれたらいいな、というぐらいの気持ちだった。

池は小屋の北側にあるので、一日中よく日が当たるわけではない。ただ、東側が開けているため、朝のうちは日が差す。黒い防水シートの浅瀬に朝日が当たると、そこだけ少し温まり、メダカにとっては案外よい場所なのかもしれない。

はじめから「完成したビオトープ」を作ろうと思っていたわけではない。むしろ、なるべく手をかけず、自然に近い小さな水辺になってくれればよい、という考えだった。餌も与えず、水も基本的には雨水まかせ。足りなくなったら、雨水タンクから少し補う。その程度で、どこまで生き物の場所になるのか。そんな実験のような池だった。

2. いろいろ工夫して整える

池を作ってみると、ただ水を張ればよいというものでもないことがわかってくる。浅い池なので、夏は水温が上がりやすいし、冬は凍りやすい。鳥やトンボ、カエルも来る。水草を入れれば増えるし、落ち葉や枯れ枝も入り込む。小さいながら、なかなかに忙しい世界である。

昨年はホテイ草を3株入れた。そうしたら、これが猛烈に増えた。あっという間に池の水面を覆うほどになり、ホテイ草というものの勢いを思い知った。水をきれいにする、日陰を作る、メダカの産卵場所になる、という良い面もあるが、増えすぎると水面をふさいでしまう。今年は反省して、1株だけ入れた。まあ、それでも増えるのだろうけれど。

シオカラトンボの産卵対策として、池の上に木の枝を縦横に渡したこともある。トンボが水面に直接入りにくいように、という考えだった。これはある程度理にかなっていたと思う。ただ、時間が経つと枝が朽ち、水の中に落ちてくる。すると今度は、それが藻の発生を助けているようにも見えてきた。

そこで、沈んだ枝や朽ちた枝は取り除き、できるだけ水面より上に枝をかける形に戻すことにした。完全に人工物を排除するのではなく、必要な構造だけを残す。水に沈んで腐ってしまうものは減らす。そんな感じで、少しずつ池の形を整えていった。

雨水タンクから水を補うときは、砂利を敷いた斜面から、ちょろちょろと流れ落ちるようにしている。水位が一定になると、反対側から余分な水が流れ出る。小川の中の浅瀬のようなものを、自分なりに再現しているつもりである。大げさに言えば、循環する水辺。実際には、かなり小さな仕組みである。

3. 虫やメダカが住み着いてビオトープらしくなってきた

池を置いておくと、こちらが呼んだわけでもないのに、生き物がやってくる。メダカは人が放したものだが、それ以外の生き物は勝手にやってくる。アマガエルが鳴き、トンボが来て、水生昆虫が泳ぎ、時々、何かの抜け殻が浮いている。

あるとき、小さなカメムシのような、ずんぐりして平たい虫が水の中を泳いでいた。調べてみると、どうやらミズカメムシ系の水生昆虫らしい。メダカの成魚にとっては大きな問題ではないが、稚魚にとっては多少の脅威になるかもしれない。とはいえ、それも水辺の生態系の一部である。何でもかんでも取り除くと、ビオトープではなく、ただの管理された水槽になってしまう。

トンボのヤゴの抜け殻らしきものも見つけた。目の部分が残っていて、2センチくらいあった。メダカの稚魚が食べられないといいな、とは思う。しかし、トンボが来る池になったということでもある。都合のよい生き物だけが来るわけではない。そこが、自然に近づけることの面白さであり、少し面倒なところでもある。

アマガエルもよく来た。夜になるとゲコゲコ鳴く。あれは、こちらには「ここにいい水場があるぞ、みんな来い」と言っているように聞こえる。実際、昨年もものすごく鳴いた夜があり、その翌日から急にカエルが増えたように感じた。気のせいかもしれないが、たぶん気のせいだけでもないのだろう。

こうして池は、少しずつ「メダカを入れた水たまり」から、「いろいろな生き物が利用する水辺」になっていった。こちらが作ったものではあるが、そこから先は生き物たちが勝手に使い方を決めていく。その感じが、なかなか楽しい。

4. 冬越え

冬になると、池は静かになった。水面には氷が張った。1センチ以上の氷が張り、しばらく溶けない日もあった。池の深さは20センチほどしかないので、正直、メダカは大丈夫なのだろうかと心配になった。

ただ、氷が全面を完全にふさいでいるわけではなく、ところどころに氷のない部分もあった。メダカは水底でじっとしているのだろうと思った。寒い時期のメダカは、ほとんど動かない。生きているのかどうかもわからないくらい、静かにしている。こちらとしては、つい何かしたくなるが、冬はむしろ何もしない方がよい。

餌は与えなかった。そもそも、昨年の初夏に池に放流して以来、一度も餌をやっていない。池の中にいる小さな生き物や藻、微生物のようなものを食べているのだろう。餌をやらないことで水が汚れにくくなり、過剰に増えすぎることもない。放置に近いが、結果としてはそれが一番自然なのかもしれない。

水位が少し下がったときだけ、雨水タンクからちょろちょろと水を足した。ドバッと入れるのではなく、小川のせせらぎのように、砂利の斜面を伝わせて入れる。寒い時期は水温の変化も気になるので、できるだけ静かに補うようにした。

冬の池は、見た目にはほとんど変化がない。メダカも見えない。カエルもいない。浮き草は枯れ、パピルスも枯れている。それでも、水の底では何かが冬を越している。そう思うと、ただ凍っているだけの小さな池も、少し違って見えてくる。

5. 春を迎えて

春分を過ぎ、まもなく4月という頃、池をのぞき込むと、2、3匹のメダカが泳いでいるのを見つけた。冬を越したのだ。これは、かなりうれしかった。

ただ、毎朝見えるわけではない。暖かい日には浅瀬に出てくるが、寒い朝には見当たらない。黒い防水シートの浅瀬に日が当たると、そこだけ水温が少し上がるのだろう。メダカが6匹、8匹と、その浅瀬に沿って、じっとしていることがあった。日向ぼっこをしているように見えた。魚も暖を求めるのだな、と妙に納得した。

春になると、糸状藻も出てきた。わたあめのように枝でくるくる巻き取れる藻である。最初は「少し出てきたな」くらいだったが、だんだんあちこちに広がってきた。冬の間に入った落ち葉や木の皮、朽ちた枝が栄養になっているのかもしれない。

とはいえ、水は透明だった。水が濁っているわけではない。藻は邪魔ではあるが、メダカの稚魚の隠れ家にもなり、小さな生き物の住処にもなる。だから全部取るのではなく、増えすぎた分だけ手で除去することにした。池をきれいにしすぎると、かえってビオトープらしさがなくなる。

春の池は、少しずつスイッチが入っていく感じがする。メダカが見え始め、カエルが鳴き、水生昆虫が動き、藻が伸びる。人間の都合でいえば「掃除したくなる季節」だが、生き物にとっては「動き出す季節」である。そこを間違えないように、少しだけ手を出し、あとは見守ることにした。

6. 初夏の喜び

6月に入ると、池は一気ににぎやかになった。糸状藻は相変わらずよく繁殖する。水面を覆うほどになることもあり、藻には小さな気泡がたくさんついていた。これはおそらく、光合成で出た酸素だろう。そう考えると、藻もただの邪魔者ではない。池の余分な栄養を吸い、酸素を出し、小さな生き物の場所にもなっている。

それでも、水面を覆いすぎるとメダカも泳ぎづらい。そこで、木の枝を使って、藻をくるくる巻き取るようにして除去した。水面だけに繁茂していて、水中は意外なほど透明だった。水が濁って悪くなっているわけではない。藻が多いだけで、池そのものは生きている感じがした。

そして何よりうれしかったのは、メダカが爆発的に増えていたことだ。親メダカだけでなく、小学生くらいのもの、幼稚園児くらいのもの、いろいろな大きさのメダカが泳いでいた。1センチほどの小さな魚もいた。目がはっきりしていて、まさに小さなメダカである。

藻を取って水面が明るくなると、メダカたちは喜んでいるように、勢いよく泳ぎ始めた。もちろん、本当に喜んでいるかどうかはわからない。しかし、泳ぐ場所が開け、光が入り、水面が動きやすくなったのは確かだろう。

昨年は「メダカを放した池」だった。それが冬を越し、春を迎え、初夏には稚魚がたくさん泳ぐ池になった。餌は一度も与えていない。水替えもしていない。やったことといえば、増えすぎた藻を取ること、水が減ったら雨水を少し足すこと、沈んで腐りそうな枝を取り除くことくらいである。

それでも、池はちゃんと回り始めた。いや、こちらが回しているのではなく、池の中の生き物たちが勝手に回しているのだと思う。こちらは、せいぜい邪魔をしないように、少しだけ手助けするだけである。

小さな池だが、今年からはもう、ただの水たまりではない。メダカが世代交代し、カエルが鳴き、虫が泳ぎ、藻が酸素を出す、小さな水辺になった。手間をかけない池を目指していたつもりが、気がつくと、毎回のぞき込むのが楽しみな池になっていた。