いまでは、それらしく畝が立ち、季節ごとに何をどこで作るかまで考えるようになりましたが、この場所は、最初から「畑」だったわけではありません。
最初のころは、ずいぶん甘く考えていました。
表面を少し整えて、種をまいて、苗を植えれば、まあ何とかなるだろう、と。家庭菜園という言葉の響きからして、もう少し牧歌的なものを想像していたのかもしれません。ところが、現実はそんなにやさしくありませんでした。
まず、草が強い。
こちらが何か植えるより早く、草のほうが元気に伸びてきます。しかも、ただの柔らかい草だけではありません。笹の根が残り、葛が伸び、地下では見えないところでしっかり場所を取っています。地面を少し掘ると、思っていたよりずっと粘土質で、水の残り方も場所によって違う。表面だけ見ていた時には分からなかったことが、少し手を入れるたびに出てきました。
特に笹の根は、かなり厄介でした。
上を刈れば済む話ではなく、地下に残った根がしっかり生きていて、放っておくとまた出てきます。これは一度ちゃんと掘り起こさないとだめだ、ということになり、結局、表面を整える程度ではなく、かなり本格的に土を返し、根を取り、やり直すことになりました。
そこで初めて、畑というのは「植える前」が長いのだな、と思いました。
苗を買う、種をまく、収穫する、という分かりやすい部分の前に、草とどう付き合うか、土をどう整えるか、どこを畑にして、どこはそうしないかを決める時間がある。そこを飛ばすと、あとで全部返ってくる。ずいぶん遠回りしたようですが、たぶんこの遠回りが必要だったのだと思います。
そのうち、手作業だけでは追いつかなくなってきました。
少しずつ掘っていても進まないし、耕してもすぐ次の場所が気になる。そこで、ついに小さな管理機まで導入することになりました。ここまで来ると、家庭菜園というより、だんだん「開拓」に近い話です。最初は、まさかここまでやるとは思っていませんでした。
ただ、管理機を入れてから、景色がかなり変わりました。
作業が楽になるのはもちろんですが、それよりも、「ここも畝にできる」「この区画も使える」という発想が持てるようになったのが大きかったです。手では難しかった場所にも手が入るようになり、ようやく、思いつきではなく、全体を見ながら組み立てる感覚が出てきました。
今ふり返ると、最初の失敗は、作り方が下手だったというより、場所を軽く見ていたことだったように思います。
土には土の都合があり、草には草の勢いがあり、場所ごとに向き不向きがある。そのあたりを無視して、こちらの都合だけで進めようとしていたのかもしれません。
この場所は、最初からきれいな畑ではありませんでした。
でも、最初からきれいな畑ではなかったからこそ、少しずつ手を入れながら、どこをどう使うかを考えるようになりました。今は、その過程自体が、いちばん面白いところかもしれません。
次は、その「何となく植える」状態から、どうやって区画を分け、役割を決めるようになっていったのかを書いてみようと思います。



