15.「有機だけで何とかしよう」としてきた限界

2026/10/03

有機農業の流通・販売・制度論

前回まで、有機農業を「高くて特別なもの」として扱ってきたことについて書きました。では、有機農業をもっと広げようとした時、私たちは何をしてきたのか。その一つが、有機の側で新しい仕組みを作ろう、ということでした。

有機専用の集荷場を作る。有機農産物だけを集めてトラックを走らせる。有機農産物の流通に関わる人たちで業界団体を作る。いま考えても、それ自体がおかしな発想だったとは思いません。目の前に問題があれば、自分たちで解決しようとする。それまでの有機農業が、まさにそうやって育ってきたからです。


私が株式会社ビオ・マーケットに勤めていた頃、社長だった関さんは、有機農業推進法ができる前後から、有機農業をもっと広げようと農林水産省にも頻繁に足を運んでいました。その過程で、有機農業を推進するなら業界団体を作った方がよい、という話になり、有機農産物の流通に関係する団体が設立されました。私は設立そのものには直接関わっていませんが、ホームページを作る手伝いなどをし、その後の活動は近くで見ていました。

その団体は、農林水産省の補助事業を受けて、物流の改善にも取り組むようになります。これも当然の流れだったと思います。ただ、業界団体が中心になって有機農産物の物流を考えれば、どうしても「有機だけの物流をどう作るか」という方向に向かいます。一般の青果物流の中に有機をどう入れるか、というより、有機の側に新しい物流を作ろうとするわけです。


その中で、いまでもよく覚えている実証実験があります。

当時、福岡から大阪を経由して東京まで走る物流便があり、途中で広島にも寄っていました。そこで、島根県浜田周辺の有機農家の荷物を広島まで集め、そこから既存の便に載せて大阪、東京へ運ぼうという計画が立てられました。

問題は、浜田から広島までです。

佐川急便にも協力してもらい、最初は4トン車をチャーターして荷物を集めようとしたと記憶しています。しかし、当然のように荷物が集まりません。4トン車を2トン車に替えても、やはり採算が合わない。結局、物流会社は手を引き、最後には農家自身がトラックを走らせて島根から広島まで運ぶことになりました。

その農家から、「結局、俺が運ぶことになっちゃったよ」とぼやかれたことを覚えています。

実証事業ですから、最後には結果を報告します。いろいろ調整し、何年かかけて実際に動かしてみた結果、「物量が集まらず、うまくいかなかった」という結論になりました。


私はその話を聞いて、「そりゃ、そうだろうな」と思いました。

これは、誰かの努力が足りなかったという話ではありません。そもそも有機農業は、農業全体の1%にも満たない世界です。島根県のように東西に長い県で、首都圏へある程度まとまった量を出せる有機農家が数軒しかいなければ、その数軒から荷物を集めるだけで大変です。集荷場を作ったとしても、そこまで20キロ、30キロ走らなければならないのであれば、「そこへ持ってきてください」と言うだけでも簡単ではありません。

一般の産地がなぜ物流を成立させられるのかを考えると、当たり前のことが見えてきます。JA水戸の方に集荷所のことを聞いた時、管内に東西南北4か所の拠点があると聞きました。農家は比較的近い集荷所へ持っていき、そこに大量の農産物が集まります。だからトラックの便が立ちます。

私が関わっている農家でも、イオンアグリ創造の牛久農場まで野菜を持ち込みます。そこまででも片道10分から15分ほどかかりますが、広い地域から農産物が集まり、イオンの既存物流につながっていきます。それでも数年前までは、毎日便を出すのは難しいという話を聞いていました。

そう考えると、有機農家だけでゼロから新しい物流を作ることが、どれほど大変か分かります。

だったら、何十年も前から農協がトラックを走らせているのだから、その便に少し載せてもらえばいいのではないか。私は、だんだんそう考えるようになりました。

有機の内側だけで何とかしようとしたのは、「有機を分かっている人だけでやった方が早い」と考えたから、というより、それまで自分たちで仕組みを作る方法しか知らなかったからではないかと思います。その世界の中で長くやってきた人たちが集まり、その人たちが知っている方法で問題を解こうとすれば、自然にそうなります。

そんな頃、京都で有機農業の推進について話をしたことがあります。京都府の農業全体を考える立場にいる女性の担当課長でした。こちらは、有機農産物を大田市場など一般の流通へつないでいけないか、という話をしに行っていました。


打ち合わせが一通り終わったところで、その方がぽろっと言いました。

「有機農家を、甘やかしすぎなのよ……」

少し驚きました。そんな話をしていた流れでもなく、本当にぽろっと出た一言だったので、「ああ、この人は本音でそう思っているんだな」と感じました。

私自身も、その頃には有機農産物を特別扱いするのではなく、普通の流通の中へ持っていきたいと考えていました。ですから、内心では「この人もそう思っているのか」と、むしろ少しうれしかったことを覚えています。

有機農業を守るために、有機の内側で仕組みを作ってきたことには意味がありました。ただ、広げる段階になっても、問題が起きるたびに「有機専用の何かを作ろう」と考え続けていてよいのか。

そろそろ、外にある仕組みを使うことを考えてもいいのではないか。

次は、その「外につなぐ」ということについて書きます。


本書参照:
第2部「なぜ、有機は広がらないのか」
5「有機の内側だけで問題を解こうとする限界」36〜38ページ